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線香と樟脳と、そして少しのタバコの匂い

祖父が死んだ。

東京にいた僕は呼び出され、通夜、葬式に参列することになった。

 

ありがたいことに大学の忌引は一週間もあるらしく、僕は葬式が終わった後もこうして実家でブログを書いている。

線香と樟脳と、そしてタバコ。葬儀場はそんな匂いで出来ていて僕は強制的に厳かな気持ちにさせられていたように感じた。

死生観なんて大層なものを持っているつもりはないが、物心ついてから初めての身内の死はイワン・イリイチの死でもドストの小説でも、黒澤明の『生きる』にもない感覚であり、そんなものを見て分かりきった気持ちになっていた自分の不勉強さと傲慢さを痛感させられる。

親戚一同は祖父の死に目は間に合わなかった者はいるものの、救急車で搬送された後の病床の祖父を見ているらしく、僕はぼんやりとした疎外感を受けた。

東京に出て豊か(経済的意味合いではない)になったつもりでいたが、こういう目にあうとなると自分が間違っていたような気もする。

 

父は長男であったため喪主であった。僕は故人の長男の次男であるから立場上上座に近くなるわけであるが、父方の実家にあまり顔を出していなかった身としてはなんとなく違和感を受ける。

亡くなった祖父と病気がちの父。親戚に家を守れとばかりに話しかけられる兄は「家」という昔時の概念にはあまり興味のないような発言を多々しており、僕が実家に戻るべきなのだろうかという考えを持たなくもない。

 

恥を偲んで書かせてもらうが僕はそれなりに優秀であり、田舎や名家でもない実家を守らずとも東京で一人で生き、両親に金を送れるくらいの職に就く能力はあるはずだ。今までフラフラしてきた兄の尻拭いや、(今時ではないが)彼の持つ長男としての責任を肩代わりしてやる義理は無いと思う。

それでも、「家」という概念に囚われ田舎での就職を考えてしまうのは逆に(なんの逆なんだ?)僕が親離れできてないといえるのだろうか。

親子間で恩義や義理なんて感情で動くのはおかしな話かもしれないが、そういった点であるならば僕は与えられたモノのみを返そうとすれば良いわけであり、将来的に仕送りでもすれば十分であろう。これまで自由にさせてもらったというのは教育面の話であり、僕が決めたことに反対しないというだけである。両親は学が無いことを僕に対して昔からあけすけにしており、僕には自分で考えることを望んだ。レールは敷かれておらず、自分で敷いてきたわけであるから、親の力というのはゼロで無いとしても大きくはない。こういった書き方をするのは僕の傲慢さが現れてしまっているのだろうが。

 

こんなような”自分のこと”ばかりを祖父の葬式で考えていて、祖父に申し訳ない気持ちになるとともに、自分はやはり”自分のこと”しか考えられないような人間なのだと嫌になる。

 

祖父が生きていようがいまいが「家」の問題というのはこれから先、一生僕につきまとうことになるのだろうと感じさせられた。